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2.252017
“楽しむ”ためのマラソン~仮装ランについて想うこと~
ランニングの価値観は大きく3パターンに分かれると思っています。
①距離の完走や記録の更新による“達成感”に価値を感じるという方。
②新しい景色や、ランニング後の美味しい食事、ランニングで広がる人間関係、健康であることの“喜び”に価値を感じるという方。
そして、
③ダイエットなどでの体型改善、入賞や国際大会の出場など、“自己実現”のための有効な手段としてのランニングに価値を感じるという方です。
この中で、①と③はわかりやすく客観的に数値化でき、具体的な指導が可能です。
一方で、②の層の方に対しては故障予防のノウハウはお伝えできても、より良いランニングライフの“指導”は不可能だと思っています。学びあうものなので。
今日は、つい最近あるセミナー生の方との会話のなかで僕にとって目からウロコだった走ることの楽しみ方についての記事を書きたいと思います。
マラソンの楽しいってなんでしょう?
「自己ベストが達成できて嬉しい!」
「初めての100kmが完走できて嬉しい!」
「ランニングを続けてから食事も美味しいし、寝つきも良くなった。何よりスリムになって着たい服が着れるようになった。嬉しい!」
これらはすごく理解できます。
でもマラソン自体は決してラクではなく、苦しさが占める割合が決して少なくはありません。
そんななかで「楽しい」感覚が理解しやすいのはレース後半で失速をしないマラソンです。
確かに、苦しくもあるんだけど35kmを過ぎてもカラダが動く!順位は当然ごぼう抜き状態でぐんぐん上がってゆき、時計に目を落とせば間違いなく自己ベストが更新できるぞ!
っていう自分の中での興奮。アレは楽しいです。うんうん。
それが井上なりにわかりやすいマラソンの楽しさなので、指導をとおしてはセミナー生の方にもその楽しさをレースで味わってもらえるよう、後半失速をしない為のノウハウをお伝えしているのがこれまでのランニングコーチ井上の日常でした。
あるセミナー生の本音。
「タイムなんて求めてないんです」
ここからが本題ですが、つい先日あるセミナー生の方からこんな本音をいただく機会がありました。
「以前、通っていたあるマラソン講座のなかで、いつもタイムを期待されるのが実は重荷になっちゃってました」
この感覚は僕もランナーとして理解できます。
ただ、ランニングコーチの立場から、そのマラソン講師の“期待”も理解できるのです。
そのセミナー生は、基本的な体幹の安定も良く、初心者ながらに心肺機能も高いので、しっかり走り込めばタイムの伸びしろの多い方でした。
しかし、その方のランニング目的は「楽しむ」ことです。
練習会のたびに他の初心者仲間よりタイムは伸びるけれど、そもそもそれが目的ではないので周囲からの期待が重荷になってしまい、結局そのマラソン講座は辞めてしまったとのことでした。
そして、その後 悩み、考え、マラソンを楽しむためにたどり着いたのが…
仮装ランをする!でした。
「仮装ランは沿道の応援者とのコミュニケーションを楽しむための手段」
とのこと。
なるほどな~
実は先週、僕は青梅マラソン大会へ応援に行ってきたのですが…残念ながらセミナー生をなかなか見つけられませんでした。
マラソン大会。ひと、多すぎだー
ただ、いろんな仮装ランナーを見れたことは応援者の“僕が”単純に楽しめたなぁ
また、気付いたのですが、仮装ランは基礎的な走力がなければできないマラソンです。
コスプレの衣装は必ずしも汗の処理に優れている訳ではないでしょうし、衣装を崩さず最後まで走るにはフォームも制約されます。着ぐるみランなどは相当な筋力を必要としているはず…
もちろん、ベテラン仮装ランナーの方ほど様々な工夫をしているとは思うのですが、きっとその“工夫”が楽しいのではないかと思います。
目的達成を応援しあいましょう☆
あるランナーさんにとって、マラソンは娘さんに父親としての背中を見せるための手段とのことでした。
あるランナーさんにとって、マラソンは大好きな彼といつまでも一緒に生きるための手段とのことでした。
あるランナーさんにとって、マラソンは鬱にならないための手段とのことでした。
ちなみに14年前の僕にとって、マラソンは憧れの女性を振り向かせるための手段でした。失敗したけど(笑)
その人の走る目的=人間味にふれられると、やっぱり感情移入できるし、自然に応援したくなってしまいます。人間だもの。
コアランニングスクールは、セミナー生ひとりひとりが自分の走る目的と向き合いながら、違う価値観の方同士でもお互いに人間味を尊重しあいながら応援しあえる人たちの輪にしてゆけたらいいな。
そんなことを思いながら、明日の東京マラソンでは井上なりの応援をみせてゆきたいな。と思っています。
It’s challenge !